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実朝について(文責・尾崎克之)
実朝の人物像
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十二歳で鎌倉三代目将軍に即位し二十八歳で甥の公暁に暗殺された源実朝はいったいどういう人物だったのか。各種の随筆、評論、小説作品に表現された実朝の人物像を拾う。
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金槐和歌集について
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金槐和歌集(きんかいわかしゅう)
「金」は「鎌倉」の「鎌」の字の偏。「槐」は“えんじゅ”という木の名前で、周の時代、この木を朝廷に三本植え、政治的な最高位・三公(日本でいう太政大臣・左大臣・右大臣)のおわすべき位置を示したことから大臣の意味を持つ。つまり、金槐とは実朝のことを指していて、実朝が右大臣に位したのは公暁に暗殺される直前のことだから、金槐和歌集は、実朝の死後に家集につけられた名称ということになる。
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実朝の生涯
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源実朝 みなもとのさねとも (1192~1219)
建久三年(1192年)、鎌倉幕府成立の年、源頼朝の二男として北条政子を母に生誕。幼名を千幡。時に頼朝四十六歳、政子三十六歳。阿野全成の妻、保子を乳母に育つ。阿野全成は頼朝の腹違いの弟、保子は北条時政の娘であり、政子の妹である。
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